■幸せ■
最近ふと立ち止まって考える事が多くなった。
ここに行きたいな
とか
こんなことをしたいな
とか
君の事を考える時間が
ずいぶん長くなった。
春まで、残された余暇はそんなにも長くない。
あれもこれもと欲張ることが・・・最善とも思わないけど
色々なことを欲張りたいなって思う。
海外旅行もだし、ボードもだし、のんびりとした休日の午後だって
他にもたくさん。。。
忙しく流れている時間の中で
やっと止まり木を見つけた気分。。。
今しばらくここで
幸せを眺めていたい。
■気持ち■
これからずっと
一緒に過ごしていく君
まだ出会ってはいない
もう一人の僕。
今僕ができることは何だろうか。
君に伝えてあげられることはなんだろうか。
僕はいい親になれるだろうか
自分に恥じない生き方をしたい。
そして
生まれ来る命に恥じない生き方をしたいと思う。
■正義■
世の中には正しいとされていることが多く存在する。
でも、本当に絶対的に正しいことなんて存在しないと思う。
罪というものが、法的に存在するとしても
その罪そのものを造ったのは人であり
犯すのも人である。
つまり「悪いこと」でさえ人によって作られた概念なのだから。。。
いつでも正しい判断をしたいと思う。
そして、正しい人生を願う。
でも・・・それは根本的に違うんだって
そう思うのです。
■比較■
世の中には「価値」という価値の概念がある。
価値観などという言葉に表象されることもあって
あたかも自己完結できる概念のようだけど
本当は違うんじゃないかなって思う。
誰かが存在する時
その存在の価値も
何かが存在する時に
その存在の価値も
結果として他との比較によって
位置づけが可能となる。
気持ちもそうなのかもしれない。
単体では存在しえない感情というものは多く存在すると思う。
■拘束■
いつからか気がつかないうちに人を拘束するものがある。
それはもちろん友人であったり
親であったり恋人であったりもするのだけれど
本当は
自分で自分を拘束していることがある。
気がつかないから
それを他のなにかのせいにしたいのかもしれない
気がつくことができないから。
■自己愛■
誰でも望めば幸せになれると思っていた。
少しだけ歳をとって
自分を大切にすることがその一歩だと知った。
それでも
幸せにはなれない人が存在することを知った。
愛しているという言葉が、何がなんでもこの手の中に入れたいという衝動として使われていることがあります。
相手を愛していると言いつつほんとうは自分を愛しているだけなのです。
これでは豊かな人間関係を築くことはできません。
しいては自分の人生をも真に豊かなものとすることはできません。
愛は寛容であり、親切です。
また愛は人を妬みません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
愛は礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、
人を恨まず、
不正を喜ばすに真実を喜びます。
全てを耐え、全てを信じ、
全てを望み、全てを忍びます。
どのようなことが起ころうとも、
真実の愛は決して終わることはありません。
『コリント人への手紙-第13章』
■時間■
僕が君と過ごした時間はもうずいぶん長いような気がする。
たくさん話もしたし
それぞれに考えたこともあって
それなりに相手を理解できているような気もする。
それでも、僕らが過ごす時間は
これから先・・・今までよりももっともっと長い。
そんな中できっと
「こうではなった」とか「あれ?」と思うこともあると思う。
少しずつずれてくる事だってあるかもしれないし
どうしても理解できないこともあるかもしれない。
そんなときにも
それをまた「新しい発見」だと思って目を逸らすことなく過ごせる相手でいたい。
いつでも「いい時」ばかりではないかもしれないけど
いいときも悪い時も、いつでも一緒に過ごしていけるだけじゃなくて
もう一歩先
いつでもいいときに変えていけたらいいなと思う。
そして、それができる相手にめぐり合えることって
そんなにもないと思う。
だからこそ毎日の、そしてその瞬間瞬間を大切にして
二人で時間を刻んでいけたらいいなって思う。
■良い親■
世の中には興味の持てることと持てないことがあります。
興味の持てることを頑張れるのは当たり前。
問題は興味のもてないことにどれだけ当たっていけるかなんだと思います。
人の深さっていうのはきっとそこで差が出るんじゃないかなって思うのです。
良い恋人でいたい。
その次は
良い親でいたいと願います。
自分の子どもの人生に、一体自分が何を伝えてあげられるか。
もちろん興味のあることに「努力して」つかんだ結果を教えていくのもそれは正しいことなのかもしれません。
が、それは逆に興味のないことは切り捨ててきた人生に他ならないのです。
自分の信じるように・・・という考え方は逆に、自分を正当化するだけの言葉でしかない・・・。
自分の子どもでありながらも
子どもは一つの独立した個性です。
偏らず、流れに抗わず、そして支えてあげたい。
四角い形の親から、同じ形の子どもが生まれるなんてありえないのです。
丸かったり、三角だったり。。。
もしかしたら立体かもしれません。
■奇跡■
ねぇ、退屈って素敵じゃない?
悪いことなんて起こらない
あなたの隣にためらいも無く
いつも私がいる。。。
歌詞です(^^
何かしなきゃしなきゃって、そんな風に思うときもあると思います。
それでも、何をしていてもためらわずに隣にいてくれる存在。
いつからかコースを外れていて
どうにか『元の』生き方に戻れたけれど
やっぱり今日までの毎日は、時々は不安定で
危なっかしいこともたくさんありました。
それでもきちんと乗り越えてこれたのは
今の自分がこうしてここに存在しているのはきっと
隣にいてくれた存在のおかげなんだと
心から思います。
ねぇ毎日って不思議じゃない?
何気ない顔で流れていく
当たり前のことが本当は奇跡で
そばにあなたがいる。。。
僕の人生は、とても何気ない顔なんかでは流れてくれず
UP DOWNも激しい生き方でした。
それでも不思議と時間は流れていて
気がつけば「いい歳」になっていました。
当たり前に手にした物も手にした事も何もないけれど
その全てが奇跡なのかもしれないなぁと思います。
■ない■
大切なものってなんだろう。
いつも自分に問いかけてきたこと・・・。
その時大切なもの・・・ではなくて
僕が『本当に』大切にしたいもの
しなければいけないものは何だろうと・・・。
ふと気がついたことは
真実は刹那の中に存在していて
その積み重ねが、積み重ねこそが真実なのだということ。
大切なものは『最初から』存在するのではなくて
そこにある小さなかけらを積み重ねて
そして『造って』いくものなのだということ。