■仕事■
仕事というものを考えてみる
確かに仕事って生きてく為の手段
換言するならば、お金を得るための手段であって、手段でしかないとも考えられる。
しかし、仕事とはその根本的な概念の枠を超えたところに価値があるものでもあると考える。
「そんなの仕事じゃない。。。」と誰かが言う『お金を得るための何か』がある。
例えばパチプロだったり、最近流行している株の短期売買だったり。
僕自身それは「仕事」とは考えられないが、その理由を明確に説明するとなるとなかなか困難である。
そして当の本人達はあくまで「仕事」だと主張する。
思うに、社会への貢献という概念を一義的にその「お金を得るための手段」に組み込んで考えると
やはりそこに社会貢献を見出すことは困難である。
物を安く購入し高く売ることは経済の常識であって、非難すべきことではない。
しかし、株などと、例えば原油の大きな違いは
その売買の過程に他者へのかかわりの存否であると考える。
極端なところを例に挙げると、レスキュー隊を見て「あれは仕事ではない」と感じる人は少ないと思う。
なぜならそれは、『他人のために何かをして、そしてそれが「仕事」であるから。』だと思う。
原油だって、販売までの『加工』という行程において、その技術も、品物も、誰かがお金を得る事はすなわち誰かのためになることである。
そして、恐らく『商品』を売ることで利益を得るなら、直接的にその消費者を考えているはずなのである。
この点株などの売買は、「社会貢献度」があるとはいえ、結果として利益は自分の満足だけで終わっているのである。
いかに利益を上げるかというところには、多少陳腐な表現とはなるが・・・「全く誰かのためにという概念は存しない」。
某サイトで一時期デイトレードが仕事であるか仕事ではないかという議論が面白く乱暴に展開されていたが
僕は結論として「仕事」としては考えられない。
あくまで「お金を得る」方法としては仕事であるけれど『仕事』ではないと感じる。
恐らく、そのような「お金を得る方法」を「仕事」と発言する人はパチプロも仕事と言い切れる人なのだと思う。
つまり、そこのサイトでも展開されていた議論は、「仕事だと思う人」と「仕事ではないと言う人」の間には解消できない溝が存在しているのであって、結論のでない議論なのである。
ホストという仕事も、最初「お金を貯める為」と思っていた頃は「仕事」というよりも「手段」であった。
しかし、独立して「仕事」となった。
当時社会的に認知されていなかった「ホスト」でさえ、通う人がいる限りそこに「他者への・・・」という観点が存在していた。
人は、いろいろな感性に触れて成長すると思う。
もっとも多くの感性に触れることができるのは「学生時代」だと考えるが、それ以降はやはり職場なのだと思う。
自己完結型の「仕事」では、やはりそこに人としての成長はないと考える。
寂しい生き方である。
■手にすること■
何かを手に入れたいとか成し遂げたいとか
そんなことを思うのなら
どれだけのリスクを背負うことができるのか考えるべきなのかもしれない
汚れずに手にすることができる何かに
どれだけの価値があるのだろうか
■閑々■
しあわせな時間はゆっくりと流れる。
一緒にいて「もう時間だ!!」なんて思うのは
本当は違った。
本当の穏やかで幸せな時間というのは
あっという間に過ぎてしまうものではないことを知った。
友人からのコメントや、その記事を見て
そして更に実感するこの穏やかな時間。。。
もっと早く気がついていたら
もしかしたら無駄な時間も過ごさなくて良かったのかもしれない。
■横軸■
楽しいことがあったら
それを共有したいと思う。
共有できるからこそ
もっと楽しいことになるのかもしれない。
時間という決められた横軸の中で
いかに縦に振幅できるのか
豊かな人生とはそういうことなのだと思う。
■損得■
損得だけで人と人との関係をとらえることは
なかなか賛同し辛いかもしれないが
何のTAKEもなく、そしてGIVEばかりの人との関係に意味があるだろうか?
お互いにきちんとお互いを成長させることができる関係
ふと気が付くと僕は
GIVEだらけの相手を繋いできたと感じる。
結局僕が得るものは
ボランティアにも似た自己満足なのだから。
■土台■
どんなに立派な設計図があっても
結局土台がなければ脆いんだってこと
土台は結局、使い回してはならず
新しい図面を手にしたら
きちんと造り直すもの
問題はその土台の欠陥に気が付くか気が付かないかなんだと思う。
人生の重みとはきっと
そこで差が出てくるのだと思う。
一つのできごとをきちんと考えられないようでは
それは「わが道を行く」ではなくて
結局のところ意味がないのだと思う。
吹けば飛ぶほど軽い人生に
軽くて浮いているスタンスで関わったとしても
それが一体何になるというのだろうか。
■時間■
君がいつもそこにいたことを
いつの間に
どうして忘れてしまったのだろう
もっと側にいたいのに
君が「あなたの中へ入りたかった」と
それは
もしかしたら誰かの言葉かもしれない
でも、それは嘘ではなかったのだと思う。
積み重ね
過ごしてきた時間だけがきっと
答えを教えてくれるのだと思う。