■自由と不自由■ | ■大切な気持ち■

■自由と不自由■

『医者やら弁護士やらは、ちょっとお金を稼ぐと「稼いでいる」と付け上がるが、それは本当に大金を稼いでいるのではない。彼らは人生に様々な規制があって不自由に生きている。』


知人の言葉のようです。


さて、『仕事』を収入面から考えると・・・確かに大金を稼げるのやら・・・不安になります。

自由というものを考えると・・・やはり弁護士も規制が多いと思います。


ここで思うのは『不自由って悪いのか?』ということです。


仕事に対して責任があるから不自由になる。


常に自由ということは、その人生に責任がないということに他ならないような気がするのです。


人はその『責任』によって成長すると、僕は考えています。


確かに好きな時に好きなところに旅行にいけて

好きなだけ趣味にも没頭できて・・・色々なことにトライできること。

これは一見人間としての豊かさを象徴しているようにも思えますが、本当に豊かなのかと考えると・・・大きな疑問も生じます。


例えば、妻子が存在したら自由には遊べなくなる。

これは仕事以外での規制です。

特に女性関係での自由はかなり規制されると感じます(苦笑)


ここで感じるのは、その規制は責任を元に発生しているという事です。


僕もそうでしたが・・・多くの女性に「モテル」ということは男性にとって一つの至福の極みであるかもしれませんが・・・そこに最終的な喜びはないような気がしているのです。

(オハズカシながら、これを自己の信念として確立できるようになったのは最近ですw)


つまり、自由はその裏側に無責任が多く存在し、不自由には責任が存在していると考えています。

そしてその「責任」こそが、仕事であれ私生活であれ、自分を満足させる報酬であると感じます。


世の中に自由を約束された仕事ほど・・・無くてもいい存在に近づく気がします。


まぁ、かつて歌舞伎町で働いていた頃、特に従業員だった頃はほぼ100%自由でした。

給料はそんなに高くはありませんでしたが、働いても働かなくてもいい。何に対しても責任など存在せず、まさに「自己責任」の世界。働いた分だけお金を手にすることができる世界でした。


自分でお店を開店して、自由は少しだけ減少しました。

それは恐らく、僕の店で働く従業員に対して責任が発生し始めたことが要因の大部分だと感じます。

しかし、その責任=不自由には、自由であった頃とは比べ物にならないほどの達成感がありました。

不自由は自ら望んだものでした。


しかしながらやはり独立しても「自己責任」の仕事であって、不自由は限りなく0に近かったと感じます。


思うに「自己責任の世界」と自称する仕事の多くは「自分が働いた分だけ収入に繋がる」仕事であると思います。

変動的であるということは、つまり他者(例示すると取引相手などの恒常的関係)を必要としない仕事です。

言うなれば1人でもやっていける仕事ですね。そうでなければ、働いた分だけ・・・という概念は発生しないのですから。


もちろん、収入も良く、時間的な自由も多く、ホストクラブ(自称)経営者という仕事はとても豊かな人生(趣味などで)を送るに有効であったかもしれません。

経営しながら現役でも店に出ていましたが、時間をかけて完全に「経営」のみに転じることも可能でした。


が、やはりその無責任で終わりたくなかったのです。


仕事に対して無責任であれば、きっと「結婚して」責任をもって生きなければならない時にも・・・無責任な生き方をしてしまいそうで(と言うのは多少後付けの理由ですが)。。。


 僕が歌舞伎町で働き始めて2年後くらいに、入店から才能(?)が頭角を現したホストさんがいます。

 彼は独立して、経営&ホストを続けていましたが、結局経営のみに回ったようです。

 残った時間を何に使うか。。。

 本当にやりたかった「居酒屋」のようです(^^

 今、無責任で自由な仕事をしていても、夢があるならそれでいいのかもしれません。

 ただし・・・多くの人は「語るだけ」です。

 「今はまだ早い」とか、「準備をしている」とか・・・理由はいくらでも付けられます。

 僕が働いている頃の「大学受験」と同じこと。

 今は忙しいから・・・そのうち。

 まだ時間が無くて勉強できてないから来年また受けよう。。。

 きっと、そのときは本当に「大学に行きたい」なんて思ってなかったのだと思います。

 本当に望むなら・・・動いているはずですから。

 僕がホストを始めて1年経たずに独立したのは、「やりたいこと、やってみたいことはスグにスタート!!」

 という僕のスタイルから生まれたスピードでした。

 いつまでも「時期早尚」などとグタグタ言っているのは僕の「やり方」ではなかったにも関わらず

 いつまでも足踏みしていたのは・・・本当に望んではいなかったからだと思うのです。