■アンテナ論■
何気ない出来事を見過ごしてしまう。
それが誰かにとっては何気ないことではなくても。
結局のところ、自分がどこにアンテナを張っているかということに左右されるのだと思う。
その点、法律家を目指すことは生きていく中で見過ごしたくない多くのことにアンテナが向いていると感じる。
先日の昭和大学の入学希望者募集要項の書類の変更。
容疑者の人権侵害などなど、「そんなこともあったんだ」というレベルでも過ごしていける出来事に対して一つ一つ自分なりの見解を考えること。。。
人のアンテナは、やはり仕事をしていたらその仕事の方向に向く。
医師であればもっぱらそのアンテナは医療に向き
会社員は恐らく自己の業界に向いている。
もちろんそれでいいと思うのだが、同時に・・・そのアンテナの向いている方向が、「人間として」の成長を妨げていることもおおいなぁと感じる今日この頃である。
必死になって働く上で、アンテナをある方向に特化していくのも悪いことではない。
が、多方向にできるだけアンテナを張っていく生き方に僕は魅力を感じる。
それだけの余裕が欲しいと考えていると表現してもいいかもしれない。
何にでも興味関心を持っていたい。
そうでないと「興味がないことはやらない」という言い訳を自分に許すこととなるから。
もちろん、「プロフェッショナル」という意味では・・・多くのことの玄人にはなれないと思う。
いろいろなものに首を突っ込むことは「中途半端」な印象を残すかもしれない。
が、何も得ないで経過していく不利益を考えて比較考量してみると。。。決して悪いことではないと思う。
多くのものに触れる中で、自分は正しいのかということを深く追求できる。
たくさんの知識が入る。
そしてその知識や「異文化とのふれあい」が、更に次の何かを受け入れやすくする。。。
アンテナがある方向に特化している人に多く見られるのが、『偏見』である。
「こういう人は受け入れられない」
「これはこうであるに違いない」
などなど・・・
状況や言葉は多岐に渡るが、仕事以外の面においてもある一定方向に固定されている傾向を感じる。
通常、社会の中で仕事をしていたら・・・多くの「他人」と関わるわけであり、強引にも「異文化交流」をすることとなるが・・・。そうでない場合は・・・かなり危険だと感じる。
また、自分にできないことがあると「それは興味がない」とか、「今は必要ないから」という言い訳が容易く出てしまう。
ちょうど、大学受験を控えた時、「受験勉強は必要だとは感じない。」と言っていた時のことを思い出す。。。
その言い訳は嘘である(笑)
いずれにしても、法律学は人の学問であり
実務は人間を相手とする。
何かに追われる前に、そして追われていても
たくさんのアンテナを持っていたいと思う。