■洪庵のたいまつ■
洪庵のたいまつ
司馬遼太郎氏が教科書として書いた本だそうです。
誰かのために生きること。。。
別に自己犠牲を社会貢献のあるべき姿だとは思いませんが、自分のためだけに生きるということも悲しい生き方であるなぁと感じます。
先日某法律家が出演する番組に、消費者金融との問題解決を専門としている弁護士の先生が出ておりました。
『ここにおられる先生方の中で、恐らく一番稼いでいる』とおっしゃってましたが。。。
稼ぐということは、結果であって目的ではないと、先生をみて更に感じました。
3年でイソ弁50人近くを抱える事務所に成長したという事実は、恐らくライブドア元社長の堀江氏や、近年メディアに多く露出しているデイトレーダーなどの『金本位主義』の輩と同じように感じられるかもしれません。
しかし、根本的なことが違うと感じるのです。
堀江氏に関しては、『会社を世界一にしたい』ということでしたが・・・そこに『自己満足』以外の要素ってあまり存在しないと思うのです。
『何で』世界一にしたかったのか。。。結局企業価値であり、中身のない空虚な存在であったと感じるのです。
トレーダーに関しても同じ。
先に例示した弁護士の先生は、悪徳消費者金融から市民を解放するということが第一の理念であって
拡大に関してもその活動の裾野を広げるという趣旨に合致しています。
何よりも、この仕事『誰もやりたがらない』ということです。
僕はどちらかというと、『貸す方』に多く知り合いがいましたが、あのような方々と喧嘩できる法律家って、やはりすごいなぁと思うのです。
もちろんこれは、法律家=インテリという僕の先入観も多く影響していることですが(笑)
結局、『お金』が先か『仕事』が先かという理論になるのだなぁと感じます。
どれだけ理由を付けても、お金を追っていては得られないものが多いのだと感じます。
さて、冒頭の本。。。
洪庵についての本だそうです。是非拝読したいと思います。
また、多くの人に読んでほしいなぁと思うのです。
『自分が正しい』というのは『法にのっとっているから』という理由以外にもっと必要なことがあると感じます。
それを『倫理』と読んでしまっては少し陳腐になる気もしますが。
それでももっともっと大切にするべきことが多いような気がします。
人に『やさしく』なることは難しいことではないそうです。
訓練したらいいのだと。
友達が怪我をして痛いといえば、その痛みを感じる訓練。。。(だったかな?w)
人の脳は日々の生活で癖ができて、そしてその変化を成長と呼ぶのだと思います。
繰り返すこと、訓練することが成長する唯一の方法だと感じます。
毎日繰り返していることが、一体どんな成長に繋がるのか、それは大きなことだと思います。
自分と違う考え方の人、立場の人、多くの『違う』人と関わって、そして考えて触れていくことが『成長』だと感じます。
『利己的』な人が多い現代に、今一度考えたい課題だと思います。
どうしても理解できない人が存在したら、もしかしたらそれは、自分の訓練が足りないだけなのかもしれないのですから。